じーちゃんに聞く昭和30年代の農業と暮らし
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昭和33年撮影。
当時牛は田をうなったり、代かきしたり畑を耕したりした。
稲を運んだりと運搬の役割もはたしたようだ。
当時は牛にかわいそうな位働かせていたようだ。
それくらい当時の農作業は今とは比べようがないほど
大変だった。 |
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梨畑での様子
今のように鉄線での棚でなく、竹で梨棚を作っていた。
左の写真で梨をつかんでいる子供は私の母。
抱っこしているのは祖母。
当時は栽培技術も確立されていなく長十郎などの品種を作っていた。今では長十郎に幸水などの木を接木し、現在も樹齢40年以上の木も残っている。 |
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梨を栽培し始めた正確な年はよく分からないが、江戸の終わり〜
明治の初めじゃないかとじーさんは言う。
もともと両親の梨栽培の手伝いをしていた2代目ひー爺さんが
昭和11年に本家から分家し、土地を分けてもらい梨栽培を続けた。
当時は麦、小麦、スイカ、柿なども作っていた。
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収穫の様子。
今のように運搬車ですぐというわけではなく
竹かごなどに収穫した。
コンテナなど便利なものはなく、籠などに
梨をつめた。
当時農作業は、はだしで行っていた。 |
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こちらも昭和30年代の茶の間の風景。
写真は曾祖父や曾祖母。おじやおば。 |
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125ccのバイク。
当時5万円だったがなかなか買えなかった。
このバイクで梨を市場まで運んだ。 |
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昭和35年頃。
牛に変わり耕運機になる。
エンジンに変わってからだいぶ作業の能率が変わる。
機械化が進む頃になると今までとは考えられないくらい
に体が楽になったそうだ。
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昭和17年頃。
私の曾祖父の兄弟の子供。
戦時中、中国で歩兵をやっていた。
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昔の私の家
壁もなく塀や囲いもない。
当時ほとんどが茅葺屋根で瓦屋根はめずらしかった。
瓦や材木は馬車で運んだ。 |
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昭和11年の騰波ノ江尋常高等小学校の写真 |
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この頃は農業というより暮らしの中に農があった。
近くの川では泳ぎ、ホタルが飛び交い、どじょうをとっていた
時代がたしかにあった。 |
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